元教員のうつ病ライフ🎵

精神障害者の日常を綴っています

学校アレルギー

三浦しをんさんの『墨のゆらめき』を読んでいる。

作中に宮沢賢治の『銀貨鉄道の夜』が出てくる。

有名な作品と知りつつも、読んだことがなかったので

読んでみようと思った。

 

有名な作品なので、YouTubeでも

朗読の動画があり、とりあえず、

それを聞いてみることにした。

初っぱなから、小学校での授業の話だった。

私は学校が嫌いで、窮屈に感じ、

もうそれ以上聞いていられなかった。

 

私は長い間学校にいた。幼稚園は年中から、

小学校、中学校、高等学校、大学(教育学部)、大学特殊教育特別専攻科、

仕事としては、小学校講師、

養護学校教諭(のちに「特別支援学校」と改名され」)、途中、休職して

教育系の大学院を修了、

再び特別支援学校教諭。

思えばどこも楽しくなかった。

学校嫌い。

価値観押し付けてくるから。

そして押し付けてきたから。

 

大学の教育学部の同期は意外とユニークな人がいた。

さすが、教育学部を目指して来る人達。みんな面倒見がいい。

私のような落ちこぼれにも、見捨てずちゃんと単位が取れるようフォローしてくれる人がいた。

 

金八先生に憧れて教育学部にきました」と挨拶した金髪の男子がいた。人は見かけによらない。

しかし、彼は教育実習のあと退学した。

「教育現場に幻滅したから」だと噂で聞いた。

彼の選択は素晴らしいと思った。

 

 

今の私は一般的なレールから出た

「ハミダシ者」だ。

無職、うつ病、障害者年金暮し。

 

しかし、今、やっと、自分のペースを尊重した暮らしができている。

学校での仕事は自分を殺しながらやっていた。

お金のために。私は、「特別支援学校なんか無くなって、みんな地域の学校に行けるようになってほしい」と思いながら支援学校で働いていた。

大学院時代は周囲から心配された。

「その考えで特別支援学校で働くのはしんどいんじゃないか」と。

私もそう思った。しかし、

教員免許しかない私に他にできそうな仕事は無かった。

 

そんなこんなで、「何時から1時間目、席に座りましょう」という学校に息苦しさを感じている私。学校嫌い。